(京都市右京区) 更新:2016年5月(4)
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鳥取摩尼八重桜
【鳥取摩尼八重山桜】(とっとりまにやえやまざくら) 佐野藤右衛門氏が鳥取で見つけた新種のサクラで、この花には1〜4の雌蕊(めしべ)があるのです。拡大写真を見ていただくと雌蕊が3-4本あるのがよく分かります。
紀保
【紀保】(きぼ) 情報が無く詳細不明。(拡大
紅枝垂れ桜
【紅枝垂れ桜】(べにしだれざくら) 入口を入るとこの枝垂れ桜が出迎えてくれました。
駒繋
【駒繋】(こまつなぎ) もともと京都青蓮院の門前にあったとされる桜で、親鸞が馬をつないだ故事からその名があります。白色大輪で、「太白」と同じとされています。(拡大
太白
【太白】(たいはく) 英国のイングラム氏が栽培していたもので、1932年に日本に逆輸入されました。純白色の花弁の大きさはサトザクラの中では最大級。若芽は褐色で花のやや後から伸びます。拡大
大提灯
【大提灯】(おおぢょうちん) 大島桜系のサトザクラの一種で、花柄や小花柄が長く、大きな花を下垂させて咲くのが特徴です。花弁は6〜10枚で、花びらの縁には波状の皺があります。(拡大
鷲の尾
【鷲の尾】(わしのお) サトザクラの栽培品種で、花弁は5〜8枚の白色。江戸初期から記録がある。現在栽培されている鷲の尾は荒川堤から広まっており、「大明」と呼ばれるものも同じ栽培品種に分類されます。大白に似て若芽は褐色であるが、花弁はやや小さい。(拡大
日吉
【日吉】(ひよし) ヤマザクラの栽培品種。花弁数は30〜40枚で花色は淡紅色。大津市の日吉大社に原木があります。ここ佐野藤右衛門により増殖され広まりました。若芽は紅紫色で花と同時に伸びます。(拡大
妹背
【妹背】(いもせ) ヤマザクラの栽培品種。花弁数は20〜40枚で淡紅色の花色。京都市北区の平野神社にある桜の品種で、やはり佐野藤右衛門を通じて広まりました。ふつう2本の雌しべが突き出ており、結実すると1本の小果柄にの先に二つの果実が合着することがあります。品種名はこれを夫婦にたとえたもの。若芽は緑褐色で花と同時に伸びます。(拡大
六高菊桜
【六高菊桜】(ろっこうぎくざくら) 花は淡紅白色で菊桜の系統です。旧制第六高等学校(現在の岡山大学)の校庭にあつた事に由来します。花弁数は80〜130枚。(拡大
紅普賢
【紅普賢】(べにふげん) 江戸時代の桜図譜・花譜に色彩図とともに掲載されている桜で、普賢象の変異したもの。花の色は特に紅色が濃くなります。花径は4〜5cmある八重咲きの大輪のサクラです。(拡大
御衣黄
【御衣黄】(ぎょいこう) サトザクラの栽培品種。花弁数10〜15枚、緑色の花が咲きます。江戸中期から名前の記録があります。開花時には目立たないものの、次第に中心部から赤みが増してきて、散る頃にはかなり赤くなります。(拡大
佐野
【佐野】(さの) この佐野邸が発祥の地。佐野藤右衛門氏により、近くの大沢池畔のヤマザクラの実生1万本から選抜された八重咲きのサクラです。牧野富太郎博士により1956年に「佐野桜」と命名されました。花弁数10〜12枚、淡紅色の中輪の花。若芽は黄褐色で花と同時に伸びます。旗弁(きべん)もあります。(拡大
胡蝶
【胡蝶】(こちょう) 咲いている姿が、蝶が舞っているように見えることからその名があります。一重・八重咲きの淡紅色の可憐な花をつけます。(拡大
桐ヶ谷
【桐ヶ谷】(きりがや) サトザクラの栽培品種。「御車返」とも呼ばれており、江戸初期から知られるもので、鎌倉桐ヶ谷にあったことから「桐ヶ谷」とも呼ばれます。(拡大
天の川
【天の川】(あまのがわ) サトザクラノ栽培品種で、東京荒川堤から広まっています。枝は横に伸びずに、太枝まで真っ直ぐに上に伸びるだけではなく、花も上向きに咲きます。花弁数は10〜20枚。(拡大
弁殿
【弁殿】(べんどの) 東京荒川堤由来の品種で、日光山から出たものといいます。一重淡紅紫色の花です。(拡大
永源寺
【永源寺】(えいげんじ) サトザクラの栽培品種で、滋賀県東近江市の永源寺に原木があったもので、ここ佐野藤右衛門氏により広まりました。円形の花弁は皺状で、白に近い淡紅色の花。花弁数は8〜15枚。(拡大
泰山府君
【泰山府君】(たいざんふくん) ヤマザクラとカラミザクラの種間雑種と考えられる栽培品種。明治期に東京荒川堤で栽培されていたもの。品種名は桜町中納言と呼ばれた藤原成範がサクラが散らないように泰山府君を祭った故事に由来します。花弁数40〜60名の淡紅色の花です。(拡大
南殿
【南殿】(なでん) チョウジザクラと里桜との間に生じた桜と推定されており、花は淡紅色で花弁数は14枚〜20枚あります。(拡大
駿河台匂
【駿河台匂】(するがだいにおい) サトザクラの栽培品種。匂いが強く、原木は江戸の駿河台にあったといわれており、江戸後期から栽培されています。花は白色で花弁数は5〜8枚。旗弁があることが多いようです。(拡大
鬱金
【鬱金】(うこん) サトザクラの栽培品種。開いた花弁の色は薄い黄緑色で、ショウガ科のウコンの根を使って染めた鬱金色に似ています。しかし、蕾は淡紅色で、散る間際の花弁の中心部は紅色に変わります。花弁数は8〜20枚。拡大
楊貴妃
【楊貴妃】(ようきひ) かつて桜の名所であった東京の荒川堤由来のサクラです。古くは奈良にあった桜で、江戸時代の資料にもその名があります。興福寺の僧玄宗が愛した桜ということから、中国の楊貴妃を連想して名づけられたという説があります。
名称 : 佐野藤右衛門邸の桜
所在地 : 京都市右京区山越中町13 ○地図リンク提供:マピオン
撮影日 : 2016/4/2、12、15 佐野藤右衛門邸マップ
指定 : 指定なし
アクセス : JR京都駅から市バス26系統「山越」行き、又は75系統「山越中町」行きで「山越中町」下車、北西に徒歩約300m。
平安郷の枝垂れ桜」を訪ねた帰りにすぐ近くにある佐野藤右衛門邸の桜を訪問しました。京の桜守(さくらもり)として名高い造園業・佐野藤右衛門さん邸の周辺に植えられたサクラを無料開放されています。あまり知られていない京の桜の名所ですが、結構人出がありました。
 植藤造園の創業は200年程前の天保3年(1832年)で、代々御室御所に仕え、植木職人として御室仁和寺の造園工事に携わっています。明治より造園業を営んでいますが、14代目佐野藤右衛門氏により滅びゆく桜を憂い、日本各地の名桜の保存に努め、現在約200種の桜を保存しているそうです。
 撮影できた品種は45種類ほどですが、できるだけ掲載できればと思っています。結構花に近づいて撮影できますので。なおあくまでもご厚意で開放されていますので、従業員の方の作業の邪魔にならないように注意していただきたいと思います。ここから全国に桜が広まっていくのだと思うと、つい撮影にも力が入ってしまいました。
 現当主の16代佐野藤右衛門さんにはお目にかかれませんでしたが、昭和3年生まれですから2016年で88才になられますが、元気に造園の仕事をされているそうです。桜の写真を欲張って載せてしまいましたが、間近で鑑賞できるのが魅力です。さらに欲張ってたいした腕でもないのに拡大写真も掲載してしまいました。コメントは学習研究社の「日本の桜」を参考にしています。
 追加画像および2018年に再訪した画像を「佐野藤右衛門邸の桜(2)」で掲載しています。また道路を隔てて「印空寺のタラヨウ」があります。
(HP管理者)

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