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名称 : 野中の一方杉 |
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所在地 : 和歌山県田辺市中辺路町野中590 |
○地図リンク提供:マピオン |
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撮影日 : 2015/11/21 |
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指定 : 和歌山県指定天然記念物 (S33年4月1日指定) |
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アクセス : JR紀勢本線・田辺駅から龍神バスまたは明光バスの「本宮大社方面行き」に乗り「野中一方杉」で下車し1.6km、徒歩約30分。 【車】紀勢道・上富田ICから1.9km、岩崎交差点を左折し国道311号に入り約32km、「一方杉」の看板がある三叉路を左折し1.5km。駐車場あり。 |
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野中の一方杉は熊野古道・継桜(つぎざくら)王子社にあり県の史跡及び天然記念物に指定されています。ここは熊野古道観光の中心地といってもよい地域で、すぐ隣に茅葺き屋根の「とがの木茶屋」があり、その向こうには「秀衡桜」があります。
「一方杉」と呼ばれるのは、杉のすべてが熊野那智大社のある方向(南)にだけ枝を伸ばしているためです。日射しや地形の関係で、一方向にだけ杉が枝を伸ばしたということなのでしょうけれど。
神社合祀前には40本ほどあった野中の一方杉ですが、現在は8本を残すのみです。合祀といえば、この王子は若一王子権現ともいわれ、野中の氏神になっていました。明治42年の神社合祀令で近野神社に合祀されましたが、
社殿はそのまま残され、戦後になってご神体を戻し、復社を果たしました。
この一方杉が残ったのは南方熊楠が合祀令に反対し、寺社林の保存を必死に訴え、何とか8本が残りました。現在大杉と呼べるのは4本でしょうか。継桜王子の下の道には「野中の清水」があります。
「継桜」の名は、天仁2年(1109年)藤原宗忠が熊野に参詣した際、日記(中右記)に桧の株に桜が生えていて、まことに希有なことだと記されており、その後建仁元年(1201年)後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記には「継桜」王子とあります。
この「継桜」は、後世、滝尻王子のそばに子を残してきた奥州の藤原秀衡が、我が子の無事を祈念して、桜の枝を折って刺したものが根付いたと伝えられるようになり、「秀衡桜」の名で呼ばれるようになりました。詳しくは「みくまのネット」で。
近くには「福定のイチョウ」、「高原熊野神社の大楠」があります。
(HP管理者) |
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