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千本釈迦堂は本尊の釈迦如来像にちなんで「釈迦堂」といいますが、嵯峨野にある釈迦堂 (清凉寺)と区別する意味で、 千本釈迦堂と呼ばれます。正式名称は真言宗智山派に属し、「大報恩寺」(だいほうおんじ)といいます。
鎌倉時代中期、貞久3年(1221年)に義空上人が本尊の釈迦如来像を安置し開山しました。洛中で最古の建造物である本堂は、鎌倉初期・1227年の創建になり、応仁の乱でも奇跡的に焼失することなく、創建時の姿をとどめており国宝に指定されています。
訪問当日は、平野神社の「魁桜」(さきがけ)の満開を見てから東に歩き、約10分で千本釈迦堂に着きました。この阿亀桜は京都市内のソメイヨシノの満開時期より約1週間ほど早く満開になるので、見る時期を逃さないように。
千本釈迦堂には「おかめ伝説」があります。本堂の建立時、大工棟梁・長井高次は大工の頭として采配を 揮いますが、ある日のこと何を勘違い したのか、本堂を支える親柱の四本の内の一本を短く切り落としてしまいます。 途方に暮れる高次に妻の阿亀は「切ってしまったことは仕方ない、柱を短く揃え桝組(ますぐみ) を入れて高さを合わせればどうでしょう」 と進言しました。 そのアイデアもあって無事本堂は完成しますが、阿亀は「女の知恵を 借りて完成させたと云われては主人の恥と なる」と考え自害して果てます。でもこれは「内助の功」として誉められこそすれ恥となるとは、封建時代の考え方からなのでしょうか。
(HP管理者) |