(長野県諏訪市) | ●更新:2020年12月(25) |
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●【土戸門跡のケヤキ】 環境省巨樹巨木林DBでは、幹周/6. 05m、樹高/36m。 幹周実測値/6. 69m。 | |
●【土戸門跡のケヤキ】 土戸門跡と冠木門前の2本の大ケヤキが城内にはありますが、土戸門跡の方がが大きい。 | |
●【土戸門跡のケヤキ】 門跡の小高い場所にケヤキはあります。 | |
●【土戸門跡のケヤキ】 地上3mほどで4本の支幹に分岐しています。内1本は切られていました。 | |
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●【冠木門前のケヤキ】 幹周実測値/5. 23m、樹高/25m(目測) | |
●【冠木門前のケヤキ】 左後ろには冠木門(かぶきもん)が見えています。 | |
●【冠木門前のケヤキ】 地上3m程の所で多くの支幹に分岐しています。 | |
●高島城天守閣 | ●高島城説明板 |
● | 名称 : 高島城公園のケヤキ | |
● | 所在地 : 長野県諏訪市高島1-20-1 | ○地図リンク提供:マピオン |
● | 撮影日 : 2020/10/26 | |
● | 指定 : 指定なし | |
● | アクセス : 【車】中央道・諏訪ICから北西に諏訪バイパス→県道487号を3.4km、「六斗橋」を右折し1km。公園の駐車場あり。 | |
● | 豊臣秀吉の家臣・日根野高吉が築城の適地とした高島は、「浮島」とも呼ばれる島状の土地であったといわれます。別名「諏訪の浮城」とも呼ばれ、慶長3年(1598年)に7年の歳月をかけて完成しました。 天守閣をはじめ城内の建物は全て杮(こけら)葺きであったと伝わります。瓦にしなかった理由は湖畔のため地盤が軟弱だったからといわれています。 慶長6年(1601年)諏訪頼水(すわよりみず)が、旧領諏訪に戻り、以降10代藩主・忠礼にいたる270年の間諏訪氏の居城となりました。 明治維新で廃城となり、明治8年には天守閣は撤去され、翌明治9年には高島公園となりましたが、昭和45年に復興天守閣が完成しています。 高島城公園には2本の大ケヤキが残されており、一本は本丸跡の南端、土戸門(つちどもん)跡にあります。もう1本は北東端の冠木門(かぶきもん)前にあります。 「土戸門跡のケヤキ」は門跡の小高い丘の上にあり、地上3mほどで4幹に分岐していますが、1幹は切られていました。下を道路が通ってるからでしょう。 「冠木門前のケヤキ」は冠木門を入った左手にあり、地上3mほどで多くの枝に分岐しており、大きな樹冠を作っていました。ケヤキのそばには次回紹介する市の天然記念物に指定されている「キハダ」があります (HP管理者) |
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(先ノ宮神社のケヤキ) | (高島城公園のキハダ・カツラ) | |
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No.2175 | ||