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「清秀桜」と同じ愛宕稲荷神社境内に咲くエドヒガンザクラです。説明板などによれば、飯田藩家老安富氏により愛宕稲荷神社に献納された桜で、安富桜の子桜との伝承があります。江戸時代末期に知久町で黒田屋というお店を出していた千代蔵という人が境内の東方、飯田城(長姫城)が眺められる今の地に移植したといわれています。
サクラの花は樹の下の方にはなく、結構上の方に咲いており、安富桜と比べると大きさも樹形もやや劣りますが、最近有名になってきたといいます。
ちょうど一人でこの桜を見に来ていた女性の方に「飯田の桜は他にもありますか?」と尋ねられたので、ちょうど持っていたグーグルの桜マップをお譲りしました。後で再度大宮諏訪神社でお会いし、「桜丸御殿址の夫婦桜」を見ることができたことを喜んでおられました。こういうこともあるので、これからも訪問前の準備は怠りなくしていこうと思います。
愛宕稲荷神社は、祭神は保食命(うけもちのみこと)などで、文治年間(1185~1189年)、飯坂城主・坂西由政が崇敬する伏見稲荷大神を勧請し、知久町の南端に奉祀したので、古来「由政稲荷」と称した始まりといいます。文禄年間(1592~96)、飯田城主だった京極高知(きょうごくたかとも)が城下を整備した際に稲荷神社を愛宕に遷座し、のちに愛宕社と稲荷社とが合祀され「愛宕稲荷神社」と称するようになったと伝えられています。
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