(福岡県太宰府市) 更新:2018年11月(19)
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太宰府天満宮の大樟
環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周/12. 50m、樹高/33m。
太宰府天満宮の大樟
本殿の西側、誠心館の前に大樟はあります。一目で大樟と分かります。
太宰府天満宮の大樟
とにかくでかいクスノキです。根の張りもたっぷりありますね。
太宰府天満宮の大樟
大樟の周囲は大きく柵で囲われていますが、撮影には支障はありません。
太宰府天満宮の大樟
素晴らしい貫禄のクスノキです。
太宰府天満宮の大樟
太宰府天満宮の大樟 大樟(大楠)
国の天然記念物
太宰府天満宮拝殿 太宰府天満宮拝殿。
右に飛梅が。
名称 : 太宰府天満宮の大樟
所在地 : 福岡県太宰府市宰府4-7-1 ○地図リンク提供:マピオン
撮影日 : 2018/10/12
指定 : 国指定天然記念物 (T11年3月8日指定)
アクセス : JR博多駅から西鉄バスで45分。または西鉄天神駅から西鉄で太宰府駅下車徒歩5分。 【車】九州自動車道・太宰府ICから約6Km。駐車場あり。
太宰府天満宮は、菅原道真公のお墓所の上に社殿を造営して、その神霊を奉祀する神社で、学問の神様として有名です。845年・菅原道真は京都で代々続く学者の家に生まれ、若くして文章博士という学者としては最高位に着きます。
 右大臣にまで登りつめた道真公でしたが、後ろ盾だった宇多天皇が退位し、藤原時平の策略もあって失脚し、昌泰4年(901年)九州の太宰府に左遷されてしまいます。昌泰(しょうたい)の変として歴史上でも有名です。
 そしてわずか2年後の延喜3年(903年)2月25日、失意の中、道真公は住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において亡くなりました。その後都では道真公を悲痛な目に遭わせた人達に次々に不幸な出来事が起こります。時平の死、御所清涼殿への落雷、醍醐天皇の崩御と続き、人々はこれらの出来事を道真の祟(たた)りだと考え、鎮魂のために北野天満宮を建てたのです。
 一方太宰府では、延喜5年(905年)、御墓所の上に祀廟が創建され、延喜19年(919年)には勅命により社殿が建立されました。
 本殿の西側、誠心館の前に大楠はあり、樹齢1500年以上といわれており、天満宮創建以前からあったのかも。大正11年、国の天然記念物第1号の仲間として指定された日本を代表する巨樹です。
 境内には他にも、天然記念物として国指定の「夫婦樟」「ヒロハチシャノキ」、県指定の「天神の森」があります。
 「昌泰の変」は後の世に人形浄瑠璃や歌舞伎の人気の演題になり、「菅原伝授手習鑑」として非常に多く上演されています。特に「寺子屋」の段は有名です。
(HP管理者)

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福岡県  クスノキ   新日本名木100選
No.1744