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牟岐町八幡神社は、承久2年(1220年)奈良八幡宮より勧請、クスノキの樹齢は500年と推定されています。
クスノキは境内の法面からやや傾斜し、拝殿前の広場を一部被うように枝が伸び、樹勢は良いようです。根元には縦横1m、奥行き0.8mほどの空洞があります。樹冠の東西27.3mを計るように雄大な姿を見せています。
大クスの前に「二十三士と八幡神社の楠」の駒札がありました。、幕末土佐藩の事件「野根山二十三士」のことですが、元治元年(1864年)7月、田野の郷士清岡道之助を首領として尊王攘夷派23人が北川村野根山に集結し、藩に対し「藩政改革、攘夷、武市瑞山の釈放」の嘆願書を提出しました。これに対し土佐藩は徒党強訴とみなして討伐の軍を送り、道之助ら一行は脱藩し阿波まで逃ましれたが、宍喰で蜂須賀氏の兵に補えられました。その後この八幡神社境内に移動させられ、土佐に送還されて全員が刑場の露と消えました。
清岡道之助という人物は、坂本龍馬や武市半平太(瑞山)のように有名ではなく、「野根山二十三士」のこともよく知らなかったのですが、ちょっと勉強になりました。しかし、清岡道之助のような明治まで生きていれば政府の要職に就いたであろう有能な人物が、いとも簡単にその命を落とし、歴史の中に埋もれていった例が、この時代には数えきれないほどありますね。
(HP管理者) |