(和歌山県田辺市) | ●更新:2012年6月(3) |
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●御神木・大楠の駒札が立っています。幹周/約8m、樹高/14m、樹齢/伝承約1200年。 |
●大楠の後方には藤巖神社があります。田辺城の初代藩主・安藤直次を祀ります。 |
●2度の落雷で主幹はすでになく、その代わり支幹が横に大きく張り出しています。 |
●古木らしく着生植物がいっぱい見られます。葉には歯痛に効能があるという説明がありました。 |
●拝殿(中央)と後方に西御殿、本殿、上御殿、中御殿、下御殿、八百萬殿の6殿が連なります。 |
●境内南西の広場にある大楠。こちらは樹高もあり立派なクスノキです。 |
●環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周/8. 30m、樹高/12mとある楠と思われます。 |
● | 名称 : 闘鶏神社のクスノキ | |
● | 所在地 : 和歌山県田辺市東陽1-1 | ○地図リンク提供:マピオン |
● | 撮影日 : 2012/4/28 | |
● | 指定 : 田辺市指定天然記念物 (H15年11月25日指定)) | |
● | アクセス : JR紀勢本線・紀伊田辺駅から南に400m、徒歩約10分。 【車】阪和道・田辺ICから田辺バイパスを東に600m、「稲成ランプ」を右折し2.3km。駐車場あり。 | |
● | 闘鶏神社の「鶏」(けい)の字は本来は「」ですが、ウエブでは正確に表示できない場合がある漢字ですので、本文中は闘鶏神社にしています。闘鶏神社は、社伝によると允恭天皇8年(423年)の創建とあり、「紀伊続風土記」では熊野別当18代湛快(たんかい)のときに熊野三所権現を勧請したと記されています。 源平の合戦で有名な武蔵坊弁慶の父湛増は湛快の子で、源平合戦の時両軍から熊野別当である湛増への働きかけは激しくなりました。そこで湛増は紅白の鶏を戦わせ源氏に味方する事を決め、熊野水軍を率いて壇の浦へ出陣し、平氏を滅亡へと導いた、と言う故事により「闘鶏神社」と称するようになったとのこと。 御神木の大楠は広い境内の北側、藤巖神社のそばにあります。古木らしく着生植物をまとい、落雷で主幹はすでにないものの支幹を大きく広げていました。もう1本大楠が境内にあり、こちらは囲いもなく誰でもその樹に接することができます。 近くには南方熊楠顕彰館と旧居があります。南方熊楠(みなみかた くまぐす)は波乱万丈の人生をここ田辺で閉じましたが、明治から昭和初期の植物学・博物学・民俗学の巨星として有名です。闘鶏神社の背後にある仮庵山(かりほやま)は、熊楠が熊野植物研究の中心基礎点とした森です。田辺駅前近くには蟻通神社の森(クス)があります。 (HP管理者) |
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No.536 | ||