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知足院は平安時代初期の寛平2年(890年)に建立されており、現在は東大寺の塔頭(たっちゅう)寺院です。現在の本堂は1863年に建てられたもので、本尊の地蔵菩薩立像は「文使い地蔵」とも呼ばれます。
その訳は、“平安時代末期の治承4年、平重衡に焼かれた東大寺大仏の再建造寺の長官を勤めた佐大辨・藤原行隆が大任を果たし、無理がたたって亡くなった後、嘆き悲しんだ娘は毎日お地蔵様に祈っていました。すると亡くなって7日目の朝、お地蔵さんの手に文が握られており、娘が文を開いて見ると紛れもなく父の字で、兜率天(とそつてん)の観音様の元にいると書かれていたそうです。”
知足院を有名にしたのは「ナラノヤエザクラ」の発見です。ナラノヤエザクラは平安時代の昔から有名で、和歌にも多く詠まれており、百人一首にある伊勢大輔の「いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな」と詠んでします。
大江親通が書いたとされる「七大寺巡礼私記」によれば、奈良の八重桜は興福寺の東円堂にあり、他の全ての桜が散ってから咲く遅咲き桜であったとされています。奈良県の岡本勇治氏が知足院の裏山に植わっていた八重桜をみつけ、大正11年(1922年)、東京大学の植物学者であった三好学(みよしまなぶ)と共に視察(調査)し、1923年に国の天然記念物に指定されました。
原木は枯死してしまい、現在は同じ遺伝子を持つ後継樹を奈良県森林技術センターから譲り受け、平成26年に植えられました。まだ幼木で、花もそんなに多くついていません。大事に育って欲しいものです。
奈良公園周辺には多くの奈良八重桜が植えられていますので次のページで紹介しています。
(HP管理者) |