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このセンダンの巨樹は、宝塚市のHPでは「妙玄寺のセンダン」として掲載されています。現地の市が設置した説明板では「中筋のセンダン」とありました。センダンがある墓地はここから北東に300mほど行った所にある妙玄寺(みょうげんじ)の墓地で、妙玄寺にも行ってみましたが、三方を石垣と堀に囲まれた大きな法華宗の寺院でした。
1995年の阪神淡路大震災で寺院は大きな被害を受け本堂などが倒壊しましたが、綺麗に復旧がなされていました。妙玄寺には「中筋村の飢饉」という民話が伝わっており、市の民話のサイトに掲載されています。
お話は、400年ほど前の慶長7(1602)年の飢饉のとき、ある村人が藩主・池田輝政が幼くして亡くなった息女の供養のために法華宗・本善寺に届ける御供養米が淀川筋を船で運ばれていくのを見ました。それを知り村の代表達が本善寺に参じ「村民を助けて欲しい」と嘆願しましたが、宗義で他宗のものには援助できないといわれ、それでは村に住む者は皆法華宗に帰依するとの証文を差し出し、お米を融通してもらうことができました。しばらくして古くからあった村のお寺を建て直し、寺の名前を池田輝政の息女の法名からとり「妙玄寺」としたそうです。
センダンは腐朽もなく、墓地の中ということで環境にも問題なく、まだまだ大きくなりそうです。センダンは5〜6月頃に薄紫色の五弁の可憐な花が咲きますが、訪問したのは夏の終わりで見ることはできませんでした。
(HP管理者) |