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神子畑(みこばた)選鉱所跡にあるムーセ旧居前にサルスベリの巨樹があります。サルスベリは漢字で「百日紅」(長い間赤い花が咲くので)とも書き、夏の間中、赤又は白い花を咲かせます。樹肌がすべすべで、猿でも滑ってしまうことからサルスベリの名がありますが、実際には猿は滑らずに登ってしまうそうです。
神子畑選鉱所跡は、山を隔てて6kmも離れた明延鉱山(あけのべこうざん:養父市大屋町)から運ばれてきた鉱石を、その比重や浮力を利用して亜鉛、銅、錫に選鉱していた大規模な選鉱所でした。かっては山の斜面を活かした巨大な建物があり、東洋一の生産高を誇りましたが、1987年に明延鉱山の閉山とともに選鉱所も廃止されました。現在はコンクリートの基礎やインクライン(鋼索軌道)などが残されています。
今、2014年の日本からの世界遺産の推薦に「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」があがりました。この神子畑選鉱所跡は候補には入っていませんが、来年は明治前後の近代化遺産が注目されてくるのではないでしょうか。
ムーセ旧居は、生野鉱山開発のため明治政府によって招聘されたフランス人技師・ムーセとその家族の住居でしたが、ムーセ達が日本を去った後の明治20年(1886年)に神子畑鉱山の開発に伴って神子畑に移築されたもので、鉱山事務所などに使われていたそうです。現在内部は資料館となっており、神子畑選鉱所跡関連の写真などが掲示されています。ここで作られた錫(スズ)の大きな塊もおいてありました。
巨樹探訪の旅は、いつでも歴史の旅でもあることを実感しました。ムーセ旧居の西には次回紹介の「神子畑のイチョウ」があります。
(HP管理者) |