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千本ゑんま堂は正式名を「引接寺(いんじょうじ)」といいます。本尊に閻魔(えんま)法王を祀るために一般に千本ゑんま堂と呼ばれます。開基は平安時代初期の政治家・歌人の小野篁(おののたかむら)卿で、あの世とこの世を往来する神通力を有し、昼は宮中に、夜は閻魔之廰に仕えたと伝えられ、朱雀大路頭に閻魔法王を安置したことに始まります。現在の閻魔法王は、長享2年(1488年)に造立されたもので、高さが2.4mもあります。
普賢象桜は別名「えんまどうふげん」とも呼ばれます。花が咲くと花弁の中から緑の双葉が出て、茎が長く垂れ下がる情景が普賢菩薩の乗った白象の鼻に似ていることからこの名があります。また花が散るときは、花びらではなく花冠のままぼとりと落下します。室町時代には多くの公達(きんだち)がこの桜を見に訪れたと記録にあり、中でも後小松天皇に勧められ、境内に咲くその様子を見た室町幕府第3代将軍・足利義満が感服したといいます。
普賢象桜には2種類あり、里桜系のこの「普賢象桜」と山桜系の「二尊院普賢象桜」です。二尊院普賢象桜も普賢象桜の横に植えられていました。若干開花は二尊院の方が遅いようです。境内には琴平・関山もあり華やかに咲き誇っていました。近くには上品蓮台寺の枝垂れ桜がありますが、満開の時期はゑんま堂普賢象桜が1週間ほど遅いようです。
小野篁といえば、参議篁として百人一首に出てくる歌人で、遣隋使・小野妹子の子孫で、絶世の美女として有名な小野小町の祖父でもあります。今昔物語に「小野篁、情に依りて西三条の大臣を助くる語」
があるように「冥土通いで」有名です。
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