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智恩寺の文樹の樹種はタブノキで、「文樹(もんじゅ)」は智恩寺の「知恵の文殊」に通じる名称です。智恩寺は「知恵の文殊」の他にも所の名から「切戸の文殊」、「九世戸の文殊」と呼ばれて古くから信仰の厚いところでした。寺伝によれば寺の開創は平安時代初期の延喜年間(901−913年)といわれます。世に三文殊と呼ばれているのは、この智恩寺、奈良県桜井市の阿部文殊院、京都市の金戒光明寺のことです。
「文樹」はタブノキですが、本堂前から東に天橋立の遊覧船のりばに行く道の途中にあります。頂部はなくなっており、大枝が折れた跡が大きな空洞になっています。それでも樹勢は良さそうです。
さて、天橋立ですが、智恩寺にきて天橋立を見ぬ訳にはいかないので天橋立ビューランドにリフトで登りました。快晴できれいな天橋立を見ることができました。天橋立というと日本三景ですが、昔の切手にもありましたが、松島と安芸の宮島ですね。
また室町時代の画家・雪舟筆の天橋立図は有名で、国宝(京都国立博物館蔵)に指定されていますが、そこに描かれた地蔵菩薩石像が今も残っています。府道沿いの商店のウインドウに天橋立図が貼られていましたが、今も昔も天橋立は日本でも有数の観光地として変わらないようです。
平安時代には和歌の歌枕としても詠まれるほどの有名な地名で、『小倉百人一首』の中の小式部内侍(和泉式部の娘)の歌「大江山 生野の道の とほければ
まだふみも見ず 天の橋立」にも見られるように、天橋立は平安人にとっても特別な場所であったと思われます
(HP管理者) |