(愛知県新城市) 更新:2019年11月(1)
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医王寺のクロガネモチ
ウエブサイト「東三河の名木」によれば、幹周/2. 3m、樹高/約7m。フクロウとくろがねもちのオブジェ。
医王寺のクロガネモチ
根元には空洞が修復された跡が残り、保護のため周囲には竹が敷かれています。
医王寺のクロガネモチ
医王寺のクロガネモチ
地上1mほどで四方に分岐しています。樹齢350年との情報がありました。
医王寺のクロガネモチ
医王寺のクロガネモチの実 クロガネモチの実。まだ赤くなってません。
医王寺本堂 医王寺本堂
医王寺と武田勝頼本陣跡 医王寺と武田勝頼本陣跡の説明板
名称 : 医王寺のクロガネモチ
所在地 :  愛知県新城市長篠字弥陀の前256 ○地図リンク提供:マピオン
撮影日 : 2019/10/5 医王寺マップ
指定 : 指定なし
アクセス : 【車】新東名高速・新城ICから国道151号を東に2.8km、「長篠城址」を左折し600m。駐車場あり。
長篠山医王寺は永正11年(1514年)に創立された曹洞宗の寺院で、薬師如来を本尊として克補契嶽(こくほかいぎょく)大和尚により開山されました。医王寺は、一年を通して四季折々の花々が咲き乱れ、春にはモクレン、夏にはハス、秋には紅葉、冬にはクロガネモチの赤い実が彩りを添えます。
 歴史的にも有名な寺院で、天正3年(1575年)、織田・徳川連合軍と武田軍の長篠合戦時、武田勝頼がここに本陣を敷いたことで有名です。境内の弥陀が池には、設楽ヶ原決戦の前夜、夢の中で勝頼の出撃を誡めた白髪の老人(アシ)が、勝頼の勘気にあって切りつけられ、翌朝池のアシすべてが片葉になったという「片葉のアシ」が生えているそうです。
 設楽原合戦で武田軍は織田・徳川軍の鉄砲隊の前に大敗北を喫してしまい、甲斐の戦国武将・武田氏滅亡の原因となります。この新城市・設楽町は戦国時代を代表する戦い、長篠・設楽原合戦の町なのです。
(HP管理者)

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No.1976