(高知県高知市) | ●更新:2020年12月(11) |
(こうち) | ●巨樹と花のページ・トップ ●都道府県別リスト ●樹種別リスト |
|
●【センダン】 説明板では、幹周/5. 4m、樹高/25m、樹齢/約250年。右後方に板垣退助の銅像があります。 | |
●環境省巨樹巨木林DBでは幹周/3.2mですが、見た目にももっと太いので説明板の値が正しいかと。 | |
●板垣退助像の左横にセンダンはあります。後方には高知城の天守閣が。 | |
●センダンの幹には着生植物がいっぱいついています。 | |
●センダンの全体画像。頂部は折れているようです。根元左奥には大手門が見えます。 | |
●高知公園のセンダンの説明板。 | |
|
|
●【高知公園のカヤ】 追手門から天守閣に登る道の途中にカヤの木の巨木があります。 | |
●【高知公園のカヤ】 環境省巨樹巨木林DBでは、幹周/3. 80m、樹高/25m。 | |
●カヤの木と天守閣 | ●高知城天守閣 |
●追手門と天守閣。追手門と天守の両方が現存しているのは全国で3ヵ所しかありません。 |
● | 名称 : 高知公園のセンダン・カヤ | |
● | 所在地 : 高知県高知市丸ノ内1-2-1 | ○地図リンク提供:マピオン |
● | 撮影日 : 2020/10/14 | |
● | 指定 : 指定なし | |
● | アクセス : 高知市電・高知城前駅から200m、徒歩5分。 【車】高知道・高知ICから4.3km。高知城の駐車場があります。 | |
● | 高知城は、慶長6年(1601年)、初代藩主・山内一豊によって着工され、息子忠義が慶長16年(1611年)に、ほぼ全ての建物が完成しました。享保12年(1727年)には、城下町の大火で追手門以外の建造物を焼失しましたが、宝暦3年(1753年)までに創建当時の姿に再建されました。 その後、明治維新の際の廃城令により本丸と周辺の建造物、追手門のみが残され、明治7年(1874年)に高知公園として一般に開放されました。現在三層六階の天守閣や追手門などの建物は国の重要文化財となっています。 日本国内に残る木造の12古天守の一つで、貴重な文化財です。天守閣にも登ってきましたが、とても急な階段でした。本丸の建物が残る唯一のお城です。 土佐ではすべての道路に旅人のためにセンダンを植えていたそうです。詩人・富田碎花(とみたさいか)は土佐路の印象を、「こごしかる北山越しに来し国の並木の道はせんだんの花」と歌っています。センダンの花の風土の中で生まれ育った土佐の人々は、センダンに特別の愛着を抱いています。 高知城の玄関口・追手門を入ると、すぐ前に土佐藩士で明治の自由民権運動推進者・板垣退助の銅像があり、その左後方にセンダンの巨樹があります。幹には着生植物がいっぱい着いており、木の頂上にまで達していました。 榧(カヤ)の巨木はセンダンの木から天守閣に登る途中にあります。その他の巨木としてはイヌマキがあるそうです。高知城の南側には「県庁前のラクウショウ」があります。 (HP管理者) |
|
|
(県庁前のラクウショウ) | (大的神社のムクノキ) | |
■ 高知県 | ■ センダン ■ カ ヤ | ■ 新日本名木100選 |
No.2161 | ||