(奈良県高取町) 更新:2012年9月(4)
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光雲寺の厄除けの杉
幹周/5. 2m、樹高/15m、樹齢/推定700年。南朝方で活躍した越智邦澄が元弘2年(1332年)高取城を築いた時に植えたと伝えられています。
光雲寺の厄除けの杉
環境省巨樹巨木林DBでは、幹周/4. 5m、樹高/18m。お寺への参道入口にあります。
光雲寺・厄除杉の由来
「厄除杉の由来」を記した説明板。樹齢は千年に近いとあります。
光雲寺の厄除けの杉 光雲寺の厄除けの杉
地上3mほどで大きな支幹が伸びています。支幹の方が葉多く、主幹はあまり葉がありません。
光雲寺本堂 本堂は県の重要文化財に指定。黄檗宗の建築様式。
光雲寺山門 山門
名称 : 光雲寺の厄除けの杉
所在地 : 奈良県高市郡高取町越智24 ○地図リンク提供:マピオン
撮影日 : 2012/7/28 光雲寺マップ
指定 : 奈良県指定保護樹木 (H9年7月18日指定)
アクセス : JR和歌山線・掖上駅下車 北に1km、徒歩約12分。 【車】京奈和道・御所ICから南に600m、「玉手」を左折し県道118号を1.5km、「郡界橋東詰」を左折し北に500m。
南北朝時代初期の貞和2年(1346年)に越智邦永が、自家の菩提所として禅宗寺院・興雲寺として建立しました。1583年に越智氏が滅びると共に興雲寺も衰え荒廃しましたが、天和年中(1680年代)黄檗宗萬福寺の鉄牛禅師が再興し、1698年に光雲寺と改名しています。本堂は一見して黄檗宗の建築様式と分かりました。
 大和の国の中世史は、高取町を本拠地とする大和源氏の庶流である「越智氏」と、大和郡山市を本拠地とする「筒井氏」の覇権争奪戦の歴史でありました。戦国時代の天正10年(1582年)、織田信長の命により、筒井順慶が越智氏の家臣鳥屋陣羽守を攻めたとき、陣羽守の息子二人がこの杉に登って難を逃れました。その時、二人の息子の歳が42歳と25歳の厄年であったことから「厄除けの杉」と呼ばれるようになりました。
 杉は地上3mほどで主幹から大きな支幹が別れています。主幹にはほとんど葉がなく枯れかけていますが、支幹の方は葉も多くあり元気そうです。
(HP管理者)

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