(長野県諏訪市) 更新:2021年1月(5)
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大祝家のイチョウ
環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周/3. 70m、樹高/20m。 邸内の土蔵右手にあります。
大祝家のイチョウ
イチョウの根元には、足の踏み場もないほどに大量のギンナンが落ちていました。
大祝家のイチョウ
大祝家の土蔵には諏訪大社の紋である「梶の木」の紋があります。
大祝家のイチョウ
諏訪上社旧大祝家邸跡説明板
諏訪上社旧大祝邸跡の説明板
大祝家邸跡
かっての大祝家の屋敷門。
大祝家のイチョウ説明板
大祝家のイチョウ説明板
春日神社(大祝家の外側)
大祝家の屋敷の外側には小さな祠が。
名称 : 大祝家のイチョウ
所在地 : 長野県諏訪市中洲1606 ○地図リンク提供:マピオン
撮影日 : 2020/10/27 大祝家のイチョウ マップ
指定 : 諏訪市指定天然記念物 (S54年2月15日指定)
アクセス : 【車】中央道・諏訪ICから国道20号諏訪バイパスを南に700m、右折し700m、右折し150m。駐車場あり。
「大祝家のイチョウ」はかっての諏訪大社の神職・大祝家(おおほうりけ)の屋敷跡、土蔵のそばにあります。市の天然記念物に指定されていますが、幹周は5m以下でイチョウとしてはさほどの巨樹ではありません。雌株で樹下にはギンナンが所狭しと落ちていました。
 大祝家の屋敷は諏訪大社上社本宮から700mほど東寄りの宮田渡(みやたど)集落のはずれにあります。大祝の居館は「神殿(ごうどの)」と呼ばれ、神聖な場所とされていました。中世までは上社前宮の麓にありましたが、遅くとも安土・桃山時代には現在地に居館を構えました。
 居館は江戸時代後期に焼失し、天保年間(1830~44年)に再建されました。再建当時は約3,000坪の敷地に、約320坪の主屋などが建てられていました。その後、明治以後縮小が繰り返され、現在の主屋はわずか約43坪となっています。
 大祝(おおほうり)とは、諏訪明神の依り代(よりしろ:神霊が宿る対象物)・現人神(あらひとがみ:生き神様)として、諏訪社(上社・下社)の頂点に位置した神職です。
 上社大祝は、古代から明治初めに至るまで世襲され、「諏方(すわ)氏」を名乗りました。中世までは、諏訪の領主として政治権力も握っていましたが、江戸時代に入り、高島城の「藩主諏訪家」と諏訪社の「大祝諏方家」ができ、完全に政教分離がなされました。
 明治4年(1871年)の太政官布告により神官の世襲制度が廃止され、中央から任命された宮司が神社のトップとなりました。それに伴い大祝は神事に関わることができなくなり、大祝職も廃止されました。生き神様を祀る信仰が存在し続けた諏訪社は、全国的にも珍しいといわれています。
 平成14年に大祝家の当主が亡くなり大祝家は断絶し、このお屋敷も「大祝邸跡」となってしまいました。徐々にではありますが、諏訪でも古代の息吹が無くなっていくことは悲しいことです。
(HP管理者)

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No.2185